昭和45年10月22日 朝の御理解
御理解 第84節
「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道でもしだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすような事をすな。」
何処までがおごりがましい、云うなら何処までが贅沢なのか、それは決められるものではない。その人その人のものなのですから。ね、毎日いわば百味の御喰の様な美味しいも物ばかりを頂いて居る。だからそれがおごりがましいと云うことではない。ね、何時も高価な着物を身につけて居るという、贅沢だなあと云うことでもない。実はそういう最高の例えば食べ物なら食べ物、最高の着物なら着物、最高の住まいなら住まいに住まわせて頂いて、そして有難いことじゃなあ。
勿体ないことじゃなあという生活に入って行くと云うことがこれは天地の親神様の願いなのです。金光大神はそういう様なおかげを取り次いで下さると。私はそういう風に信じております。おごりがましいことをすな、ものは細うても永う続かな、ね、ですからものは細うてもとこう言うて居られますから、何か細々とした生活をすること、沢山のお金ならお金を持って居っても始末倹約をして行くと云う様な生き方。
そういう生き方が私はおごりがましいことをしない人の生き方だと云う風に頂いて居るのは間違いだと思うね、ここには細うても永う続かねばとね、細い道でも次第に踏み広げて行かなければとね、所謂踏み広げて行くと云うこと。踏み広げて行くのですから、もうどれだけ広がって行くやら分からんね、だから最後に踏み広げて通るのが繁盛と仰るのですから、その繁盛のおかげを頂かなければですね、おかしな事。
はら億万長者だと云うてもね、そのお粗末な物を食べて、お粗末な着物を着てと云うことでは決してない。それではむしろ私は神様は喜びなさらん。次第に踏み広げて、通らせて貰えると云う事。踏み広げて行くのが繁盛じゃとね、だから細々とした道を何時までも歩けと云うのじゃないのです。ね、細い道でもね、初めの間はあるかないか分からぬ程しの小さい道でも、それを踏み広げて通るのが繁盛じゃと仰る。ね、
私どもはおごりがましいことになってはならない。ところがその例えば、云うなら財産が沢山できたり致しますとね、勿体ないと云う事、有難いと云うことを感じんようになる。昨日御大祭の翌日反省会がございました。まあお大祭を仕えますたんびんにやはり一段とよりよい信心をさして有難い信心をさして貰い、有難い信心をさして貰うならやはり御大祭も、云うなら去年の教祖大祭と云うのは年に一回ですから。
教祖大祭、去年の教祖大祭よりもより今年の教祖大祭の方がやはりおかげを受けなければならない。受けて行かなければならない。おかげでずっとこう段々踏み広げて通らせて頂くおかげを頂かなければならない。まあ合楽の場合はそれがね、僅かづつではあっても踏み広げて通らせて頂いて居ると云う事実がいろんな上にも、参拝の上にもお供えの上にもいろんな上にそれが現れて出て来るわけですね。
それでも又よりよい有難いおかげを頂かなければならんと云うのが反省会の願いなのですけれども、色々の反省がなされました。もうまあ云うなら最後の後片付けなんかもなさって膳ざらい的なことで食事皆さん一緒にさして頂いて、頂き終わってから先日親先生に何か喜んで頂きたいものをお供えさして頂きたいけれど、親先生が何を喜んで頂くか分からん。いやあそりゃあ貴方がね真心込めてからお供えすりゃ、そりゃ私が喜ぶようなことになってくるよと言うけれども、ちょっとその迷われたんです。
月に一回しか参って来なさらん。参る時は遠方から参って来る。それでも何かその親先生の喜ぶ様な物をて云う思いが真心です、それで今度は丁度大祭月でもありますから、何か少しそのまあその良いものをお供えしたいと云うけれど、色々あれこれと迷いましたけれども、結局何を買わせるか分からん。でまあ失礼だけれどもこのお金で料でお供えしたい。だから先生何か好きなものを一つ買うて居って下さいと云う訳ですね。又来月お参りさして頂いた時に又それを私に見せて頂いて楽しむと云う訳なんです。
それが例えば二千、三千円のものじゃない、今度三万円お金のお供えがしてあった、そのことの為に。それでその事を私昨日ちょっと話しましたら、そんなら今から買いに行きましょうと言うわけで、丁度秋永先生達夫婦、ここから繁雄さんと長瀬さんと茂さんとそれから綾部さんと高橋さんと二台の自動車に分乗して、もうそれでもデパートに今から行ってももう閉まっとるかも知れん、まあぎりぎりどうかも分からんけれど取り合えず行きましょうと言うて、行きましたらほんとに滑り込みでした。
もう行ったらもう私初めてデパートの裏にあるその店員さん達ばかりが使うエレベーターに乗って、それでエレベーターで降りて帰らせて頂いたんですけれどもね。なんと驚きました。皆さんが一致してこれは素晴らしい、こりゃ素晴らしいと、それが丁度二つで三万円になる。そのね、一万五千円と云うね、灰皿を買いました。この位ばかりの灰皿です。丁度このおへ木ぐらい。
備前焼のね成程まあ形はもうほんとに変哲もない只四角い細工も何にもしてない備前焼の云うなら泥焼きですよねえの灰皿。ちょっと硬い所へ持って行きゃカツンと割れて仕舞うようなものそれが一万五千円。客殿の夕べあそこに置かせて頂きましたから一遍見て下さい。ね、もうこげな贅沢な話はないですよねえ。灰皿がこの位、ないなら今までにも立派な物を使っていたけれども、皆が是がいいと他のとに眼が移らん。ね、
そこで私は今日八十四節を頂かせて頂いてですたい、おごりがましいことをすなとこう仰せられるが、昨日はおごりがましいことになったのではなかろうかと私は今日開けた途端にそこですからそう思うた。しかも帰りには久留米にはああいう美味しいものばかりを売っている店があると全然知らなかった。ふぐ料理を頂いて帰りましょういうこと。ね、それでは頂こうかと言って、もうそれこそいわゆる山海の珍味と申しましょうかねえ、海山の松茸の塩焼にふぐ料理ですから。
しかし私思いましたなあ、あの美味しいものと云うのはどんなに腹が太かっちゃ頂けるもんですなちゅうて、もうここでお直会頂いてからですからね。みなさんがそうやっぱほんとに美味しいものちゃ、なんぼでも頂けるもんですなと言うて、まあ頂かせて貰うたんです。こげな贅沢な、こげなおごりがましいことで良いのだろうか。例えば私今日八十四節を頂いて、それこそ昨日を思やえらいおごりがましいことをしたなと云うて、神様に言われた様な気がする。おごりがましいことをすなと仰る。
今度の私は御大祭に着けさせて頂いた紋付が二十万円、上下、とにかくあの呉服屋さんでも京染屋さんでもそういう反物があると云うことは知って居りましたけれどもまだ見たことが無いという人が多かったんですから、その生地、その反物の生地は。私はもうそれこそ上下何着も持っている。だから三着は今私持っております。いわゆるこのほんとに御祝儀などに使うこういう紋付はまだ沢山あります。
勿論私が好みで自分で作ったとか誂えたと云うのは一つもありません。それが段々段々ね頂くそのお供えが、段々段々立派な物になっていく。しかしもうこれが愈々最後だな、そげなものを着よったら早死にするかも知れんから私がもう要らんと言うた。それでもそのお供えなさる方がですよ、自分もそういう紋付を作らせて頂いて仕立てて居りますけれどもね、親先生がそのお着にならないものを私どもが信者が着る訳に参りませんという訳で。だからどうでもこれを着て頂かなければとこう言う訳です。
そりゃもう半年前からお願いしてあったのがね、丁度御大祭の前に日に出来てきました。そりゃあ着て気分の良い事ですねえ。本当に是より贅沢があろうか、こんなおごりがましい事がしてよかろうかと。けれどもどういう例えば素晴らしいものでもです、百五十万、百万するものでもです、それは天地の親神様が、ね、作って居って下さるものなのです。ほんとに細うても細うてもそれを踏み広げて通るのが繁盛じゃと仰る。
細々とした、私どもがなら振り返って見ますとです、二十年前には着るに着る着物がなかった。夏も冬もいわば夏服一枚であった。ね、それでも私はまだ自分には着る資格が無いと思うて、もっと粗末な物があるならもっと粗末な物を身につけなければいけんと思う、私が着て居るその当時の夏服、夏も冬も一着で過ごした夏服と云うのは、ね、こう袖が段々擦り切れますから家内がこうやって居り曲げてずうーっとくくってあります。こうやってくけてあります。
今もそれで家内がちゃんとこれだけは孫子の末まで取っておかんならんと云うてなおして居ります。ね、夏も冬もそれでした。ね、だからそういう例えばなら生活をです、こりゃ着物だけでなく一切がです、私どもが福岡で修行さして頂いて一番最後の時には四畳半でした。しかも畳が敷いてありませんでした。しかも板張りかと云うと、板張りまだカンナもかけてない板が並べてあるというだけに過ぎないようなのでした。
雨が降るといやあもう親子、あの時にはまだ愛子まででしたけれども、ね、親子四人の者が押し固まって隅の方へ居らなければ寝られないと云う時代がありました。福岡の秋永先生がそれでも毎日そこへ通うて来た時代のことです。ね、もうほんとに、ね、おかげが頂けるなら一生私どもはこれから以上の家に住みたいと思わないし。これ以上の食べ物を食べたいとも思わなかったし。
これ以上の物を着ようとは思わなかったです、ほんとに。 若先生がまだ七つ、歳子ですから豊美が八つ、ね、毎朝私朝の御祈念から帰ってきて御祈念を済ますと、その四畳半の内外の掃除をする子供達が決っていました。ね、丁度そのまあどっちがといってどっちまでもないですから、すぐそこの所に今で言うなら住宅のようなきれいな家がずうっと建ち並んで居りました。」
ちょと北側に見える所へ。「勝彦ちゃん、こういう家に住むのとね、あすこに今きれいな家が出来とる家とどっちの家がよかと思うね」そりゃやっぱ子供でもやっぱりあげな家がよかと云うわけなんです。そんなら一生懸命おかげ頂いてね、豊美が上をはわきますと勝彦が下をはわきます。それから二人で焚き物を拾いに行きます。ほんとにしらごつ今の長浜町ですよ。長浜町の一丁目。もう今はそれこそここにそういうとこがあったじゃろうかと思うくらいです。
毎日一日二日分くらい焚くぐらい焚き物拾って来ましたですね。海から荷揚げをする所に箱何かの木切れが落ちて居るんです。福岡のほんな町のまん中で焚き物を拾いに行ったんですからね。がらを拾って来るんですねえ。それを七輪におこす、それでした。ね、もう私どもほんとに子供達にでも親達にでもこのお茶粥さんを腹一杯食べさせられるならね、もうなんにも文句はないと自分で思うとりました。
自分なもうあの当時はお茶粥一日に一椀しか頂きませんですから、その一椀でも勿体ないと思いよりました。もう細々としたと云うならまあ人間のこれが生活だろうかと思う様なところから私は始まっとるです、引き揚げて帰ってから。もうそれでもう有難うして有難うして勿体のうして勿体のうしてちゅうものでした、そういう生活でも。子供達に五円のキャンデーを半分づつやると云う様な状態でした。
ある時なんかは豊美が十円のキャンデー買うて来たと云うて家内がえらいやかましゅう言いよった。そういう時代がありました。ね、だからそういう生活、有難うさえあればそれが一生続くと云うことが神様の喜びかと云うたら、確かにそうじゃないと云うこと。ね、そこからね、いわば踏み広げて通るのが繁盛であると同時に、踏み広げて通ることはです、氏子信心しておかげを受けて呉れよと仰るのはそれなんです。
風呂に一生入ろうなどとは思いもしなかった。ね、お粥さんでもよい、子供達にでも親達にでも腹一杯食べさせて貰えたらもうそれで言う事はない。住まいだってこれ以上の住まいに住もうとは思いません。それが私のその願いでしたけれども、神様はね、どうでもこうでもやはり良いものを着せ良いものを食べさせ、云うならば良いものを身につけさせて下さる働きを下さったと云うこと。
もうそれこそもうほんとに夢のような話なんです。私は思いますね、金光様の御信心はね、自分の思うとる事が成就するくらいなけちな考えじゃ駄目です。それこそです、夢にも思わなかった様なおかげが展開してこなければ駄目です。だから自分が計画して月にこがしこづつ儲けよるけん、何年後には幾らになる、そういうけちなね、儲け出し方じゃ絶対おかげになりません。ほんとのおかげじゃないです。
そこで、なら皆さんにです、私のような生活に一辺戻れと云うことでは決してないです。ね、今一千万の財産を持っておる人は一千万の生活、ね、百万円持ってる人は百万円の生活、いわゆる自分に分に相応の生活が為されたてそこから、いよいよ広がって行くおかげを受けなければならんと云う。一千万のいわば財産を持っている人はやはり一億円の財産になって行くことを願いとしなければならないのです。踏み広げて通らなければ。ね、二十万もするであろうと云う。
いわば紋付を私は今度二十四日から又御本部参拝のおかげを頂きます。古川家のいわゆる金光家一門のいや金光様の教祖様の一番末の娘さんに当たられる皆さんもご承知の古川この様ですね、その古川この様の四十五年の式年祭がございます。金光家だけ百名集まるそうです。それに私ども夫婦も是非参拝してくれと云うことでございますから、おかげを頂かせて頂きますがね、だから今。
今度御大祭に頂いたその紋付を持ってそれで着させて頂こうと思うわけですけれど。こりゃもう恐らくひょっとすると紋付だけ私が一番かも知れんと思いよります。それでどうこうと云う事じゃ無いけれども、そういういわば物を身につけさせて頂いてです、ね、俺のが一番よいと云うてもし自慢が出るようなことであったら、これはおごりがましいことになりましょう。
けれどもね、けれどもどげん考えても勿体ないことだなあと、その着物を着せて頂いて、見せて頂いてね、言う思いが実感として出て来るならば、これは神様喜んで下さるのであって、おごりがましいことでは無いと云うこと。ね、いやあ、合楽の客間にあるたったこのくらいばっかりの灰皿が一万五千円もするなんて、ね、それを無造作にちょっとこう置いてある。
ほんとに二十何年前の事を思うてみてです、ほんとに夢にも思わないようなおかげがそのようにして展開してきて居る。ね、いわばもうそれこそ、あの福岡の長浜町一丁目時代から椛目に帰らせて貰うて合楽に移らせて頂いて、ね、次第次第にいわゆる年々再々踏み広げて通らせて頂いてきて居ると云うことです、私がおかげの手本と云うか、おかげの見本はその様にして作って行かなければいけんと、お互いが、ね。
昨夜帰らせて頂いて、応接間で、ま、その一万五千円の灰皿を眺めながらです、見れば見るほど素晴らしいですなあと云うことですよ。 あちらで見た時よりも持って帰ったら一段と良くなった。良いものと云うものは段々見よれば見るほど良くなっていくですね。やはりその一万五千円の灰皿を眺めさして頂きながら、お茶頂きながらです、綾部さんがこういう事を言われるです。
まあ云うならばもう贅沢の限りは尽くさせて頂いた、ね、何十万の着物でも買いたいと思うたらもうその場で買わにゃでけん。そういう生活をさせて頂きましたが、信心をさして頂くようになりましたらです、ね、もうそういう贅沢な物はこれから先布一寸でも買わんと云う修行させて頂いてです、ね、ま、冗談には秋永先生の奥さんと二人で話して居られる。ね、私が欲しいと云う物は奥さん貴方が買うて私に買うてお供えして下さい、貴方が欲しいと云う時には私が買うてから私がお供えするけん。
買うたことにならんからいいでしょうもんちゅうごたる話なさいますけれども、先生さらさらもう例えば買おうとは思わない、作ろうとは思わないと。ですけんもうその修行は私にはもう修行でないから、この次にはどういう修行さして頂いたらいいでしょうかと云うて言われるんです。ね、えらい事を神様に約束したと云う様な事ではなくて、もうその修行はもうさらさら修行と思わないから次の修行に移りたいと、ね。
細うても永う続く、只細いなりに永う続くのじゃあない。それを踏み広げて通るのでなからなければいけない。ね、踏み広げさして頂いて、踏み広げさして頂いて、ね、それこそ昨日一日の事を申しましてもです、まあ贅沢の限りと云うたら、これが贅沢の限りだろうと思われるくらいなものを見せて貰うたり買わせて頂いたり、又は食べさせて頂いてです、ね、私のはおごりがましいものではないなあと云うことをです、ね、
もうほんとに勿体のうして勿体のうしてと云うことになるのですよ。皆さんがあんまり話し込んで居りましたから、もう十一時過ぎでした。皆さん帰られました。久富さんだけ残られました。私は皆さんが帰らた後にどのくらい勿体無い思いであの夕べを過ごしたかと云うことは久富さんがご承知の通りです。ね、何という勿体ない事になって来たであろうかと。だから私が又皆が帰られてからもう一遍見てくち言うてから客間に行ってから見て来る。そうしてですね、
もうどうしてこの様な勿体ないことになってきたであろうかと云うことなんです。なんと云う有難いことであろうかと云うことなんです。私にこれが伴うて居る限りです、もっともっとそんなら灰皿一つが一万五千円くらいじゃない、そりゃ五万円の灰皿一つであってもです、ね、これはおごりがましいと云うことではないと云うことなんです。だから皆さんにもそういうおかげを頂いて頂きたい。いや、天地の親神様の願いはそれなんだ。氏子信心しておかげを受けて呉れよと、と云う風に私は頂いております。
けれども私は昨日はその様なおかげを頂いて参りましてから、ね、今日頂くところが、もうのっけにおごりがましい事をすなとこう仰るのですから、あら昨日のはおごりがましい事であっただろうかと思わせて頂いたけれども、そうではない、それは神の願いであってね、問題はね、その最後に、道に草を生やすような事をしない、ね、しかも踏み広げて通るのが繁盛じゃと。
その繁盛こそ私どもの願いであり天地の親神様、金光大神の願いがそこにあるのだ。そのおかげを頂き止めてこそ私はほんとのおかげが受けられる。金光大神ちゃその様な道なんです。その様に有難い道なんだ。金光様の信心すりゃ段々始末倹約して、ね、お粗末な物ばかり食べて、お粗末な工夫ばしとくことが、例えば宗教家であるとか、宗教しとる者の生き方などとと云うようなちょっと私間違った考えをしとるような人が宗教家の中にもあるのじゃなかろうかとこう思うです。ね、
だから私綾部さんに申しました、ね、もうあれは要らんこれは要らんと云う丁度秋永先生の奥さんも一緒でしたから、ね、丁度秋永先生の奥さんが五十だそうです。もう何ヵ月すると五十だそうです。だから満五十になったら私は第一タバコを止めたいと思うと言うて、ならもう今の内にしっかりま、いうなら贅沢しときなさい。あの人はやろうと思えばどんな事でもやってのけれる人ですもんねえ、だいたい。
だからね、まあ信心のね、一番有難いと云うことはね、私がもうこれは十何年前に頂いた御教えの中に、ね、「欲しいとも思わぬ、雨垂れの音を聞く」と云うのだ。別にあれが欲しいこれが欲しいと思わんで済む。ね、デパートを歩きよったら、はあ、あれも欲しいな、これも買えるといいばってんち云うのじゃない。どういう物を見ても欲しい、眼の正月させて頂いても欲しいとはさらさら思わないと云うのです。
じっと雨垂れの音を聞かせて頂いて居ったら、もう深い深い有難いものに浸らせて頂いて、別に何も欲しいとは思わない、それが信心者の有難い境地ちゃそれなんだ。そのなあにも欲しいとは思わないという前にです、云うなら松茸の塩焼があり、云うならふぐの料理があるわけなんです。今日はいっちょ久留米へ出ておご馳走食べてちこというものは全然さらさらない。ね、そこでどういう事になるかと云うと、こんなものも頂いてよかろうかと云う勿体ない、有難いが伴うてくるのだ。
なあにも欲しいと思わない、だから綾部さん今貴方はね、そこの所を稽古なさって居られるのですよ。だから結局そこの所の気持ちが段々出来てきたらです、神様又よりどれだけのおかげを下さるか分からん。ほしたら楽しい事ですねえ、どれだけのいわばおかげを受けられる様になるやら分からんと云うて夕べも言うて居られました。ね、だからいわゆる、もうこれ以上の事は望みませんと云う様な所からね。
段々有難いものが生まれ、その有難いと云うものにです、伴うて来るところのおかげを頂かせて頂き、又頂き止める事がね、神様の願いであると云う事。細々とした生活をすると云うのではない、細い道でも踏み広げて通るのが繁盛じゃと仰る。ね、だからその繁盛一途のいわゆる親の代よりも子の代、子の代よりも孫の代とです、ね、繁盛して行く、そういう道を金光大神は教えておくのじゃと仰って居らるのだ。ね。
金光大神の道はそういう道なんです。ね、そこでです、自分が持って居る例えば家蔵財産それものがです、その事がです、ね、重荷になるごとあるならばです、本気で修行しなければいけないと云うことになります。又はその事に対してです、過去に振り返ってみて、いわばなら自分の身分不相応なものを身につけたり、着たり食べたりして来たことのです、お詫びが心から為されなければならんと私は思います。
そのお詫びの印に、これから先はもう布れ一寸買いませんと云う様な生き方になって来なければいけない。ね、私と家内がね、もう米一粒買う段じゃあない、布一寸買う段じゃあない、いわゆる下駄一足買いませんと云う生活に入らせて頂いて何十年間、ね、成程布一寸買わんでもそれこそ神様の方から持ち上げて下さるんですからねえ。ね、そういうおかげの頂ける道だと云うことを私自身はもっともっとです。
おかげの頂ける道を、ね、後から付いて来る信心の方達の為に残して置かなければならない、そういう手本を残しておかなければならんと云うふうに私は思います。脇から見たらほんとちょいとあげな贅沢があろうかと思われる位な贅沢の出来れるひとつおかげを頂きたい。それでいて、私の心の中には何と勿体ないことか、有難いことかと云う内容がいよいよ広がって行く信心を頂きたい。
どうでも一つおごりがましい事をすなと云うとこだけを頂きますとですね、それはまあ一まあ、般的に言う、ね、百円のものよりそれを二百円のものを食べるとそれが贅沢のように言うけれども、それが有難く勿体なく頂けるおかげを頂かせて頂くと云うことがおかげであると云う事。おごりがましいことはいけません。けれどもそれを踏み広げてそこに頂けれる、なら百斤の力を以て百斤のものを頂くことは、これは神様のむしろ願いであり喜びであると云う事をね、
分からせて頂かなければならんと思うです。まあ昨日のいわゆる一万5千円のね、その灰皿からこう考えて見てね、こげな贅沢があろうかとま思うごとあるですけれども、それが私がね、ほんとに勿体ないことではあるとしてそこのところに、あの灰皿を見るたんびに有難い思いが募って来るならば、それは一万五千円、二万円の灰皿でもそれは贅沢ではない、おごりがましい事ではないと云うことなんです。
どうぞ。